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♪被災地に立つ・・・1 (宮城県)

2015年 08月21日 16:59 (金)


2011年3月11日・・・
関東でもかなり大きな揺れを感じた地震がありました。
地震が起きたときは、ただ「怖い」と感じた私でした。
あのエリアで、未曾有の大地震・甚大な津波被害が出ているなんて、
想像もできませんでした。
その数時間後、東日本の広い範囲にとんでもないことが起きたことを
私を含め、日本国民は知ることになったのでした。


今回のお盆休みに被災地を訪問することも
大きな目的でした。
夫J氏が単身赴任していた頃の記憶をたどり、
被災地を見てきました。



仙台市宮城野区・蒲生地区

こちらは、宮城では【蒲生干潟】として、有名だったそうです。
自然豊かで貴重な干潟だったようです。


写真奥は防波堤です。






そして工場と住宅が立ち並ぶエリアでもあったそうです。
こちら蒲生の津波による被害は甚大で、
災害危険区域となっています。
仙台市の計画によると、
これから先、人は住めないということになっています。
集団移転地域ということです。

現地に到着したときに、
「なんだか工場が多いなぁ~」と思いました。
仙台市の計画によれば、
成長産業の集積地とするそうです。



慰霊の塔の回りには、何もありません。
ただただ、草が生えた空き地が広がっています。



この地区を車で走っていると、
津波の被害を受けながらも崩壊していない民家を数軒、
目にしました。
主を失って寂しげでした。
とても写真を撮る気持ちにはなれませんでした。

この家の人たちは全員、亡くなってしまったのか?
元気だとしても生活に疲れてはいないのか?
いろいろなことを思いました。





仙台市若林区荒浜

ほとんど何もありません。
すべてあの日に失われたのでしょう。





こちらは、800世帯2700人が暮らす海沿いの集落でした。
海岸線から約4kmの内陸・高さ3mの場所までが
水没したと言われています。
防災教育も盛んに行われていたようです。
しかし、そんな防災意識を超える津波が、
この地域を襲ったのでした。
地震の翌日200~300名の遺体が海岸に打ち上げられたそうです。







平成25年建立


私は、この荒浜地区の震災前・震災後のドキュメンタリーを
NHKの放送で観ていたので、
現地を訪れてみて、心が揺り動かされました。
こちらも危険区域なので、住むことはできません。

仙台市の計画では、
ゴルフ場か何かが作られる予定だとか・・・


何篇かにわたるドキュメンタリーの中で見た神社跡。
集落の人々の心のよりどころだったことでしょう。




海岸公園として整備中です。
これは倒れたままにしておくのでしょう。




この海があの日、牙をむいたのです。






伊達政宗ゆかりの貞山運河(貞山堀)

貞山堀は、塩竃から阿武隈川河口にかけて掘られた運河で、
江戸時代初期・中期・明治時代の3時期の区間からなる。
江戸時代に掘られた区間(木曳堀及び御舟入新堀)では、
仙台藩南方及び北方の穀倉地帯からの年貢米の運送などが行われた。
貞山堀の名称は、伊達政宗の法名からとられ、
明治時代に完成したときに命名された。(仙台市HPより)


写真、向かって右が海です。↑
津波はこの貞山堀を越えて内陸へ・・・






↑遠くに木が見えますね。そちらが海側です。
基礎だけになった家屋・・・たくさんありました。
それぞれの生活があったんですよ。
笑い声、一家だんらん・・・

すでにガレキは取り除かれています。
しかし実際にそばで見てみると、
やはり心に迫るものがあります。
どう表わしていいのか?言葉が見つかりません。

もう、ここでは生活できません。悲しいことです。



【荒浜小学校】は、2016年3月で閉校。
現在は他校にて開校中。
↑ここは被災した人々が集まった場所です。



写真は大きくなります。




荒浜を訪れる人たちの誰もが無口になっていました。

そして、皆さん静かに手を合わせていました。



もう2か所の被災地も今回いっしょにアップする予定でしたが、
写真が多くなるので、2回に分けることにします。

今回はコメント欄は閉じています。


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