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♪鎌倉・建長寺の半増坊の原点は浜松にあり!

2018年 02月03日 15:19 (土)


インフルエンザという鬼が猛威をふるい、
全国的に寒さに包みこまれています。
そんな節分の2月3日土曜日、
皆さんいかがお過ごしでしょうか?


本日のお話は、長くなります。
興味のない方は、スルーして下さいね。




北鎌倉の【建長寺】と言えば・・・
創建が1253年の由緒あるお寺です。
鎌倉五山の第一位でもあります。


そんな建長寺ですが、
お寺の裏山にある半増坊の歴史は、
意外に新しいということをご存じでしょうか?




起源は、明治時代だそうです。
私がなぜそのことを知ったのか?

年末年始に訪れた浜松で立ち寄ったお寺で、
そのことを知りました。




【方広寺】

こちらは、昨年の大河ドラマ「女城主・直虎」の井伊家ゆかりのお寺です。
静岡県浜松市にあります。

そこは、山の中にある立派なお寺でした。














1371年、後醍醐天皇の皇子・無文元選(むもんげんせん)禅師により、
開かれたお寺です。


方広寺の半僧坊伝説は、
無文元選禅師が中国の修業から帰国する際、
嵐に遭ったその時から始まります。

その嵐の中、「私が無事に日本まであなたを送りましょう。」
鼻の高い異人が現われて助けてもらい禅師は無事に帰国。
そののち、浜松で方広寺を創建した際、
また鼻の高いあの異人(鼻高天狗)が現われて、
「あなたの弟子にしてほしい。」と・・・
禅師は「あなたは、半ば僧のようなところがある」と言い、
弟子になることを許し、
そこから「半僧坊」と呼ばれ修行に励むことになったそうです。


禅師が亡くなると
「わたしがこの山と寺を護り、世の人々の苦しみや災難を除きましょう」
姿を消し、半僧坊大権現となり、
方広寺の鎮守として祀られるようになったそうです。

明治時代中期、方広寺の山火事の際、
「無文元選禅師のお墓」と
方広寺の鎮守「半僧坊大権現」だけが焼けることなく残り、
半僧坊大権現様の力によるものだという評判が
全国的に広まっていたそうです。





じゃ、どうしてそれが鎌倉の建長寺と関係があるの?




明治中頃の建長寺の住職は、
ある夜に山の中で白髪の翁(おきな)と出会い、
「私を関東のどこか清浄な地に招いていただけるなら、
そこはこれまで以上に栄え、
いつもありがたいことが絶えることはないでしょう。」
告げられる霊夢を見ました。

住職はこの翁こそ半僧坊大権現であり、
建長寺を護る鎮守にふさわしいと、
自ら半僧坊が祀られている浜松市奥山の方広寺に出向き、
大権現の分身を願っていただいて帰り、
建長寺に鎌倉半僧坊を創建したということです。






天狗の下駄?

<神奈川県の大雄山最乗寺><東京の高尾山>にも天狗の像が見られますが、
方広寺、建長寺とは別由来のもののようです。

天狗と言えば、日本の民間信仰に出てくる、
神や妖怪のことなのだそうですね。
神通力を使ったり、空を飛んだりするとか・・・
古くは、中国由来の言葉だそうです。
このあたり、お勉強の余地がありますね。




さて、そんな方広寺を私が訪れた日は、
お天気が下り坂で、なんとザンザン降りの雨・・・


見所が多いお寺なのですが、
見逃した所も多いようです。
訪れた日は大晦日・・・
新年に備えてなのか?本堂の拝観もお休みでした。
しかし、御朱印だけはいただくことが出来ました。






五百羅漢も有名です。









 
1401年建立の<方広寺七尊菩薩堂>
静岡県最古の木造建築物


広い境内、薄暗い雨天ということもあったかもしれませんが、
メグおばちゃんも半増坊大権現様の幻想的な世界へ
引き込まれそうでしたよ。


今回は、
「鎌倉・建長寺の半増坊の原点は浜松・方広寺にあり」という
お話でした。


長々と失礼いたしました。




じゃ、今日はこのへんで・・・

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