2020年 12月18日 16:41 (金)
こんにちは!メグおばちゃんです。
今日もまた横浜・本牧【三渓園】のお話です。
こちらの日本庭園には京都や鎌倉から移築された建造物が
点在しています。
その中のひとつに三重塔があります。
【三渓園のシンボル的な建造物です。
↑写真は【三渓園】HPより
この三重塔は、
京都の衰退した寺院・旧燈明寺から大正時代に移築されました。
【三渓園】の重要文化財の中でも一番古い建物です。
三重塔自体は、室町時代のものだそうです。
横浜山手西洋館もそうなんですが、
日本の移築の技術は素晴らしいです。
小高い丘の上に建つ三重塔からの眺めです、
眼下に見える屋根は旧燈明寺本堂です。
こちらも室町時代の建造物です。
移築は昭和62年になってからで、原三渓氏は見てないですね。
原さんは、昭和14年に亡くなっていますから。
もう少し目を左に向けると町が見えます。(写真なし)
小高い丘の尾根伝いに進むと視界が開けます。
展望台を下から見たところです。
現在は工場やコンビナートが立ち並び、
高速道路が走っています。
海は工場地帯の先にあります。
しかし、原三渓さんが生きていた時代には、
展望台のすぐ下まで海だったのです。
夫J氏によれば、
小学生の頃まで、この展望台の眼下は海だったそうです。
「子供の頃、潮干狩りしたよ!」と語る夫!
現在、【三渓園】南門駐車場や公園、
さらに工場地帯も今見える景色はぜ~んぶ埋立地なのです。
昭和39年頃は、夫J氏が言うように、たしかに潮干狩りをしています。
証拠写真↓
さらには・・・
この海水浴客の数・・・人気海水浴スポットだったようです。
埋め立て、埋め立て、埋め立て・・・
高度経済成長の波に乗って、
自然より、経済成長や利便性を追求したのですね。
昨今の世界的な大規模自然災害や新型コロナウィルスは、
大きな見えない力の
人類に対する復讐かも?なんて思ったりするこの頃です。
う~ん、私は何を言いたいのか?
とりとめのないことを・・・
じゃ、今日はこのへんで・・・
上の白黒写真は↓の本からの引用です。
