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*胃ろう中止、綱渡りの命・・・

2018年 08月09日 16:49 (木)


7月中旬、医師から2つに1つの選択を迫られた。
「胃ろう」か「水分と塩分の点滴」・・・

どちらにしても残りあとわずかとなった母の命。
それでもほんの少しでも・・・

私は「胃ろう」を選んだ。


しかし、7月下旬、母の状態は変わった。
誤えん性肺炎がまた母の体を襲い、
選択肢は最期のひとつとなった。

本当なら、最後の望みをかけて7月30日に
「胃ろう」造設のはずだったが、
2回目の誤えん性肺炎で体力が低下した母には、
もはやその選択肢はなくなった。

今回の母も、かなり苦しそうだった。
完全看護の病院でありながら、
「付き添いのベッド、ご用意しましょうか?」と・・・

ナースステーションの前の病室で、
血圧や脈、酸素量を測る器具が廊下向きに置かれていた。
私をはじめ、家族は皆、その時が近いと覚悟した。

その後4~5日はそんな状態だった母だが、
ある日、病院を訪れた時には、
容態は落ち着き、
こちらから話しかけることにうなづく・・・
ベッドの柵を持ち、起き上がろうとするまでになっていた。

現在では、もうろうとした意識状態ではあるが、
酸素の吸入はなく、自力の呼吸で生きている母。
医療的には、特に施すこともなく、
病状が悪くなれば、その苦しみを段階に合わせて、緩和することしかない。

弱りながらの小康状態。
次の居場所はどこになるのか?



母は広島の被爆者である。
最近、時節柄テレビドラマなどで、広島弁を聞く機会が増えた。
気づけば、そんな広島弁が聞ける番組を選んで観ているようにも思う。

結婚するまで広島から離れたことがない母。
どんな青春時代だったのだろうか?

もっと詳しく聞いておけばよかった・・・
もうろうとした意識の中で母は今、
何を想っているのだろうか?
夢を見るのであろうか?


タイムリミットは刻々と近づいている。
家族は私に「そんなこと言うもんじゃない。」と言う。

しかし、私はその最期を冷静に受け止めようと覚悟を決めている。