07月 « 2016年08月 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31  » 09月

♪とろろ汁の丸子宿から難所・宇津ノ谷峠へ

2016年 08月31日 15:49 (水)


ハイハ~イ!メグおばちゃんです。
迷走した台風が過ぎ去りました。
北の国では残念ながら、被害が出てしまいました。
一刻も早く、復旧作業が進みますように・・・



さて、8月も今日で終わり!
しかし、私のブログはいまだに夏の思い出を語ります。
もう暫くお付き合いいただければ、嬉しいです。



日本平・清水港・オクシズ(奥静)・駿府城と
伊豆ではない静岡を巡った
メグおばちゃん夫婦でした。

家康ゆかりの駿府城をあとにした私たちは、
東海道の宿場、日本橋から20番目にあたる
「丸子宿(まりこじゅく)」訪ねてみました。

日本橋から46里、
東海道の宿場の中でも一番小さな宿場だったそうです。


地図の安倍川のところに「丸子」の地名が見えますね。
「鞠子」と書くこともあります。読みはどちらも「まりこ」です。







こちらの「丸子宿」はとろろ汁が有名で、
江戸時代からの有名店「丁子屋(ちょうじや)」さんが、
現在でも営業しています。
この日も、お店の前には人の列が出来ていました。

歌川広重や十返舎一九の作品にも登場しています。

私たちもこの古民家の「丁子屋」さんに行ってみたかったのですが、
時間の都合というか、場所が分からなかったというか、
私がとろろが苦手というか・・・

他のお店で昼食にしました。


さくら海老のかき揚げ定食


夫J氏はとろろ汁定食


腹ごしらえもできました。





「丸子宿」の次は、旧東海道の中でも難所と言われている所のひとつ、
「宇津ノ谷(うつのや)峠」へ・・・




暑い日で汗ダラダラで歩くのが大変でしたが、
いにしえの旅人のことを思えば、
へこたれている場合ではありません。


こちらの峠の集落は、江戸時代の旧東海道の町並みが
今も残るエリアです。

























豊臣秀吉が小田原攻めの際にこの宇津ノ谷で休憩をしたそうです。
この茶屋の主人が秀吉に馬用のワラジを差し出したとか・・・
秀吉がそのことを喜び、小田原で勝利した帰り道にこの茶屋を再び訪れ、
自分が着ていた羽織をご褒美として贈り、
その後「御羽織屋」と呼ばれるようになったとか!

のちに家康公も訪れ、記念に茶碗を贈ったそうです。



難所・宇津ノ谷・・・


昔の賑わいは現在まったく感じられませんが、
昔の生活と今の生活が共存しているなんともいえない、
不思議な空間がそこにはありました。

訪れる観光客もまばら・・・静かな真夏の午後でした。





*私たちが好きな「鬼平犯科帳」にもこちらは出てくるんですよ。


♪天柱山吐月峰柴屋寺 (丸子宿)

2016年 08月29日 15:39 (月)




天柱山吐月峰柴屋寺

漢字がいっぱい!
さて、何と読むのでしょうか?

その答えは・・・

てんちゅうざん とげっぽう さいおくじ

静岡市駿河区丸子3316





東海道・丸子宿(まりこじゅく)にあるそのお寺は、
なんとも風情のあるお寺でした。

古くから、豊かな自然を題材に、
このお寺で歌が詠まれたという、
なんとも言えない味のある場所です。

上品なおばあさまの由緒・宝物の説明が、
500年前の世界に私たちをいざないます。

こちらは、国の文化財指定庭園、名勝史跡となっています。
(1504年、京都の銀閣寺を模して建てたと言われています。)








ことにこのお寺からのお月見の光景は有名で、
そのお寺の名前の由来にもなっています。

裏山の竹林が風で右に左にゆれるたび、
月が上へ上へ昇っていく。
竹林からまるで月が吐き出されていくかのように・・・



写真中央の竹林あたりから昇る月が、有名な月見ポイント。


庭園も瞑想したり、月を見るために石や池が配されています。




室内からは、冬は雪を頂いた丸子富士を眺めてこの草庵の主・宗長が一句

宗長の気分でその場所に私も座ってみました。
見えるかな?写真の右に小さな○の位置に座って・・・(拡大可)


連歌師・宗長が500年前に見ていた風景と同じなのかな?
写真奥が宗長が一句詠んだ丸子富士(拡大可)

いにしえに思いを馳せるには現在でも十分な環境です!
時が止まったような静寂な世界・・・





鎌倉でも感じたことがなかった、
日本人の心がそこにはありました。

宝物は撮影禁止ですが、
貴重な品々がガラスケースに収められていました。
一点・一点・・・心をこめておばあさまが宝物について語ります。

500年前の時間にタイムスリップです。


またこちらは、竹細工が有名で「吐月峰(とげっぽう)」と書いて、
キセルの竹製の灰吹(はいふき)のことを指すそうです。
吐月峰=灰吹


灰吹←上の意味が分かりづらい場合は、左の灰吹をクリック!



旅で見つけた素敵なお寺のご紹介でした。

つづく・・・

♪ポケモンGOに家康びっくり!(駿府城公園)

2016年 08月26日 15:39 (金)


ハイハ~イ!メグおばちゃんです。
今日も暑い横浜です。
来週には来るかもしれない台風10号の進路が気になる
メグおばちゃんであります。


さて、本日のお話は、夏休みに行った静岡旅行の続きです。

オクシズ(奥静)の梅ケ島温泉をあとにした私たちは、
静岡の中心部を目指しました。

やっぱりここも見ておかなければね!


【駿府城公園】

徳川家康公の晩年の居城があった場所です。
現在では、お堀などがあるだけで、
東御門など復元された建物があるだけです。
発掘調査も現在進行形ということですよ。
まだまだ解明できていないことがあるらしいです。
そのような【駿府城公園】ですが、
静岡市民の憩いの場になっていることは確かなようです。















家康公の像がある場所が本丸跡




家康公の像の前に集まる若人たち。
まさにこちらの【駿府城公園】は
今流行りの「ポケモンGO」のポケモンが、
たくさん出るポケストップになっているらしいです。
家康公像の前の日陰では、小学生から大人まで、
静かに熱く燃えていました。
夕方になるにつれて、もっと人数が増えるらしいですよ。

みんな、ほどほどにね!


恥ずかしながら、メグおばちゃんは、
「ポケモンGO」については、まったく分かりません。
そんなわけで何か質問されても困るので、
コメント欄は閉じさせていただきますね。


じゃ、今日はこのへんで!

♪【フレンチーナ】でランチです!(横浜ベイクォーター)

2016年 08月25日 11:09 (木)


本日は、夏休みの旅行のお話はちょっと小休止!
ランチネタです。


昨日は、中学1年からずっとお付き合いしている友人二人と、
約1年ぶりにランチへ・・・
その後の家族のこと、共通の友人のこと、健康のことなど、
話は尽きません。


場所は私の都合で、横浜でした。
先月、別の友人とランチをしたばっかりですが、、
またまた横浜ベイクォーターにあるお店を予約しました。


今回は・・・

【フレンチーナ】

軽く毒吐きます。

電話で予約を入れた時のスタッフの方はとても感じがよかったのですが、
今回は入店時から無愛想な若い女の子のスタッフに当たりました。
笑顔を見せるのが、
「損」なんでしょうか?
「何、怒っているの?」
ニコリともせず、事務的に仕事をこなす・・・
感じ悪いんですけど!
客商売なのですから、少しくらい笑顔を見せたっていいじゃないの?
「そんなに怒ったような顔をしてたら、あなたから幸せ逃げてくよ!」


そんなちょっとマイナスイメージな【フレンチーナ】でしたが、
お料理は美味しかったですよ。
ランチタイムも女性客でいっぱいでした。

お味・量・・・お値段に見合っていたと思います。






ランチセットコース 1,780円)

【ENTREE】
前菜3種盛り合せ

【SOUP】
本日のスープ

【PAIN OU RIZ】
ライスorパン

【MAIN】
<下記6品より1品>
・5種の魚介のスチームココット ~ハーブの香り~
・フォアグラのポワレとハンバーグステーキ 特製のデミグラスソース(+300円)
・森林どり もも肉のスパイスロースト ~和風仕立てのオリジナルソース~
・氷温熟成豚 肩ロースのグリエ アンショワのアクセント
・グリルビーフハンバーグステーキ 特製のデミグラスソース
・グリルビーフハンバーグステーキ 海の香りのサルサローザ

【DESSERT】
<下記3品より1品>
・ショコラケーキとピスタチオのアイス
・クリームブリュレ
・白桃のコンポートとブルガリアグラス


黄色の文字が私たちの選択です。




女子会ならぬおばちゃん会!
今度はどこに行こうかな?



じゃ、今日はこのへんで!

♪大人の隠れ宿(梅ヶ島温泉・梅薫楼)

2016年 08月23日 15:39 (火)


こんな所があったんだぁ~!

今日のお話は、大人の隠れ宿のご紹介です。
渋さ、全開です!

記事が長いので、興味のあるところだけでもどうぞ!


静岡県といえば、海のイメージをお持ちの方が多いかと思いますが、
私が夏休みに訪れた静岡県の宿は・・・

山奥!


私が住む神奈川県で例えるとすると、
丹沢湖がある山北町のようなイメージです。


清水から45km、山奥へ山奥へ・・・


まだまだ序の口・・・


そこは安倍川の起点であり、山梨県身延との県境であり、
また南アルプスの麓といった位置にある秘湯に行きました。
(地図はこちらのHPを参照して下さい。)

つまり、静岡でも標高約1000mの高地にあり、
とても涼しい場所でした。

あの家康公が名づけた安倍川餅が生まれた土地でもあり、
古くは金山で栄えた地域です。


「梅ヶ島温泉」

温泉と言っても観光地とは無縁で、
温泉地というより、
「湯治場」
のイメージです。

それはそれは山奥で、コンビニやスーパなどはなく、
一番近いコンビニが現地より30kmほど、
下った場所にあるという、
私たちの普段の生活ではあり得ない環境です。

そんな場所ですので、
iPHONEの受信状況も悪く、ほとんど使えない・・・

お盆休みだというのに、
人影もまばら・・・車にもたまにしか遭遇しませんでした。

宿泊施設も小さな宿が10軒ほどで、
この先、宿やお店が出店する予定なし!

そんなこんなで大人向きの温泉で、
お子さんや若い人には、ちょっと退屈かもしれませんね。
お土産屋さんもありませんよ。


宿は、この一角だけです。


メグおばちゃんたちが、宿泊したお宿は、
その中でも一番古い【梅薫楼】です。
(建物はS40年代に建て替えているようです。)






今でこそ宿が10軒ありますが、
【梅薫楼】は、元々一軒宿だったようです。




「梅ヶ島温泉」1700年前に発見された温泉場ですが、
武田信玄の時代には湯治場として知られるようになったそうです。
よく聞きますよね?「信玄の隠し湯」、まさにそれ!


源泉がある所は、公園になっています。
(写真中央奥を進むと 至 安倍峠→山梨・身延へ)



現在は小動物などが多く入り込むため戸がつけられていますが、
以前は戸の奥の岩風呂に入れたそうです。(源泉付近)



ここから各旅館に温泉が引かれています。



山梨県の身延からも近いこともあり、
武田氏(山梨)と今川氏(静岡)の金山争奪戦では、
傷ついた兵士が傷をいやしたとも・・・

その後、
古文書による温泉の湯治客記録から著名な歴史上人物を拾うと
徳川家康公や秀忠公、勝海舟、清水次郎長、乃木希典なども
訪れていたようです。(梅薫楼HP参照)

【梅薫楼】の前身のお宿から通算すると、
創業約300年。古いですねぇ。
昭和30年に、静岡市に温泉使用独占権を返上するまでは、梅ヶ島温泉は梅薫楼の一軒宿でした。





今回、このお宿を見つけたのは夫J氏!
きっかけは・・・

こちらのお宿には鬼平犯科帳の宿プランなるものがあったからなんです。


そう!
私たち夫婦が好きな「鬼平犯科帳」関連です。





まだ、この世に名をとどろかせる前の
作者・池波正太郎氏が、
こちらの宿に宿泊して、
この地を舞台にした作品を
書いていたことを知ったからでした。


その作品は「雨乞い庄右衛門」
テレビでは、田村高広氏と江守徹氏が中心のお話です。←いらない情報ですけど。

盗賊の大親分が、長くこの地で療養をしていたという設定で
そのストーリーは始まります。


梅ヶ島温泉ってホントに山奥で、
いかにも・・・って感じなんですよ。
盗賊の親方が隠れていてもおかしくない!

「梅ケ島温泉」の記述は、池波先生の他の作品にも
チラホラ登場しているようです。



ここで、ちょっと周辺情報も!

梅ヶ島エリアの滝もご紹介いたしましょう。


今さらながらの<二人の世界>でした。
誰も来ませんでした。







朝でしたが、こちらも誰もいませんでした。
「熊が出そう!」だと思っていましたが、
少し前に熊の親子が本当に発見されたそうです。
おサルさんや鹿はよく見られるそうです。


もう少し奥に「安倍の大滝」という見事な滝があるようでしたが、
そちら方面の遊歩道は、通行禁止でした。
残念ながら諦めました。
現在も県境までは行けますが、山梨側ヘは抜けられません。


そして最後にお部屋・お風呂、
【梅薫楼】で味わったお食事をご紹介しますね。




ネット予約しました。
トイレ付和洋室が用意されていました。




 <穴風呂>
狭そうですが、大人2人、入れるスペースです。
良いお湯でしたぁ~!




<石風呂>
誰にも急がされることなく、
ゆっくり、舞ったり時間が過ぎていきます。

単純硫黄泉で美人づくりの湯とも言われていますよ。
大浴場もありますが、今回はゆっくり貸切で!

シャワーがないので、少し不便を感じましたが、
それもまた昔ながらの湯宿の雰囲気を醸し出していました。
こちらは、24時間入浴可能です。



<山のお宿のお夕飯>


山の幸・海の幸でもてなされます。
茶碗蒸し・夏野菜の冷たい煮物・こんにゃくのお刺身
鮎・天ぷら・猪鍋・小鉢・おそば




池波氏のお気に入り、お醤油ベースの猪鍋
味噌仕立てが多い中、こちらのつゆを大絶賛したとか!




<山のお宿の朝ご飯>


やまめの甘露煮が美味しかったです。
ご飯が進むおかずで、珍しく2膳いただきました。




ロビーでは、山のお水で淹れたコーヒーを味わいました。



何?
江ノ島の弁天様の妹君がいらっしゃいました。

昭和20年に米軍の陵辱と災禍を避けようと神主と氏子一同によって、
御神体を2つに分けて奉納され直していたところ、
その後、GHQにより御身の安全が保障されたので、
姉君はそのまま江ノ島に残りましたが、
妹君の興しいれ先については、
当時の氏子総代の恵比寿屋旅館が当梅薫楼の親戚であった縁で、
山の神としてこの安倍奥に招聘することとなりました。
お輿賜った後は、
川のせせらぎと風音を琵琶に奏でる梅ヶ島温泉の守り神となりました。
芸能や音楽はもちろん、
七福神内唯一の女神として、審美や美肌の神としても信仰を集め、
「美女づくりの湯」として美肌効果のあるこの温泉を守ってくれています。
(梅薫楼HPより)




小さな声で言いますよ。とにかく穴場!
お湯を楽しむなら、最高です!
そんな静かな秘湯【梅薫楼】、
また行きたいと思う宿のひとつなりました。




注)新緑・紅葉シーズンはちょっと混雑するそうですよ。

♪境内に電車が走る寺 (清見寺)

2016年 08月22日 14:29 (月)


ハイハ~イ!メグおばちゃんです。
本日は、台風の影響のため自分勝手に
お仕事を休んでおります。

今回は、お寺に興味のあるメグおばちゃんの自己満足記事ゆえ、
コメント欄は閉じております。
サラッと写真だけでもどうぞ!




今日もまた、
盛りだくさんだった2泊3日の私の夏休みのお話です。
(またかよっ?ですね。汗)


「三保の松原」
「日本平」
「久能山東照宮
「ちびまる子ちゃんランド」
「清水の次郎長生家」

進んでまいりましたが、

次は、清水でも由緒あるお寺を見てきました。

予備知識ゼロ。あれれっ?

そんなお寺でしたが、これまたちょっと感動でした!




静岡市清水区興津清見寺町

始まりは古く7世紀後半と言われています。
その頃は、この地に関所がありその傍らに
仏堂が建てられました。

鎌倉時代に禅宗が中国から伝わり、
室町時代には、足利尊氏が崇敬し、
戦国時代には、一時廃れはしたものの、
東海の雄・今川義元の後援を得て、復興。

その後、今川氏の人質となった幼少期の徳川家康が、
こちらの住職より教育を受けたとされています。

そのようなご縁で、徳川260年間、
徳川一門の帰依するところになったそうです。




まず、総門から・・・



「ここから、本堂へ向かうのかぁ~!」
と思いきや・・・




総門を経て、道なりに坂を上ると・・・

ん?線路がある!





何???電車ですか?

何の因果か?
明治22年に東海道線が境内の中を通るようになったようです。




立派なお寺です。






立派な鐘楼もあります。



すごいでしょ?拡大できます。)




大方丈







江戸中期からの五百羅漢群

さすがに古くて、風化している石仏。
何か重たい空気・歴史を感じて、
これ以上奥には進めない感じがしました。
拒まれている・・・






時間をかけて細かなところまで、
見学したい由緒あるお寺【清見寺】でした。



【清見寺】をあとにしたメグおばちゃん夫婦は、
今宵の宿へ、ひたすら車を走らせるのでありました。



つづく・・・

♪まるちゃん・次郎長・エスパルス

2016年 08月19日 17:49 (金)


ハイハ~イ!メグおばちゃんです。
オリンピックでの選手の涙も人それぞれ・・・
ただただ悔しかった人、
心から嬉しかった人、
責任感から解放された人・・・

リオ五輪が始まる前は、
あまり楽しみではなかったオリンピックですが、
なんだかんだ言ってもやっぱり感動しますね。




さて、本日のお話は・・・

もちろん、静岡旅行のまたまた続きです。


「日本平」をあとにしたメグおばちゃんが向かった先は、清水港でした。



船好きなメグおばちゃんとしては、
ぜひとも乗りたかったクルーズ船。
海から富士山を見たいじゃないですか!

しかし、この日は雲が多くて、
とても見える状況ではありませんでした。
予定は変更となりました。


清水港は日本でも有数のまぐろの水揚げ量ですが、
クィーンエリザベスも寄港していたんですね。






清水と言えば清水エスパルスを連想される方も多いかもしれませんね。


港のそばで・・・


そのエスパルス関連の商業施設が清水港にありました。

その施設内に、【ちびまる子ちゃんランド】があります。
こちらも旅の予定に入っていました。(笑)












まるちゃんを中心に登場人物のオブジェや<なりきり写真館>、
昭和の家庭用品・遊び道具や教室の再現などの展示がありました。
混んでいましたが、ほぼ外国人観光客・・・中国の方々かな?
楽しそうに写真スポットで記念撮影!

館内は見学が10分~20分で終わる程度の広さでした。
お土産はたくさんありましたよ。


朝7時から観光をして、午前11時・・・
そろそろお腹が空きました。

エスパルスドリームプラザ内には飲食店も入っていました。
当初は別の場所での昼食を予定していましたが、
待ちきれず・・・
<清水すし横丁>で休憩&昼食にしました。






黒はんぺんのフライ

名物・静岡おでんも食べてみたかったのですが、
今回は縁がなく、食べられませんでした。


涼しい店内で満腹になってから、
クルーズの代わりに観覧車から清水港見物です。




拡大できます。


写真奥の黒っぽく見えるのが、「三保の松原」、
クィーンエリザベスはどこに停泊したのかな?



観覧車から降りてからは、
港町をプラプラ散策しました。





清水と言えば・・・あの人を思い出しませんか?

清水の次郎長さん!

次郎長さんの生家を探していたメグおばちゃんですが、
「末廣」という次郎長さんの船宿を発見。
彼が晩年になって始めた船宿です。
その観光ポイントで、
次郎長さんの真実の姿を知ることになったのです。





どんなイメージをお持ちでしょうか?

まず、次郎長さんは幕末から明治に生きた人なんですね。


子供のいない米穀商の叔父さんの養子になった次郎長さん。
商売をしながら、賭けごとや喧嘩を繰り返し、
商売を実姉夫婦に譲り、無宿人となったそうです。

諸国を巡りめぐって、いろいろな人々との人間関係を築き、
清水湊に戻り、その道の一家を構えたそうです。
皆さんがよくご存じの「大親分」さんです。

若い頃から、任侠の世界にどっぷりつかった次郎長さんですが・・・

<咸臨丸事件>
旧幕府海軍副総裁の榎本武揚が率いて品川沖から脱走した艦隊のうち、
咸臨丸は暴風雨により房州沖で破船し、
修理のため清水湊に停泊したところを新政府海軍に発見され、
見張りのため船に残っていた船員全員が交戦によって死亡した。

その後、逆賊として駿河湾に放置されていた遺体を、
次郎長は小船を出して収容し、
向島の砂浜に埋葬し、翌年には「壮士墓」を建立した。
新政府軍より収容作業を咎められたが、
「死者に官軍も賊軍もない。」と言って突っぱねたという。(ネット参照)


先見の明があった次郎長さんは、英語教室を開いていました。
(先生は違います。笑)


咸臨丸事件をきっかけに、幕臣・山岡鉄舟氏と知りあい、
また、地域の教育に力を注いだり、
港の整備にあたったり、
清水港~横浜港のお茶の販路を生み出したり、
富士山南麓の開墾事業にも手を広げたそうです。
人生の大きな方向転換となったわけです。

晩年は、人のために尽力した人だったのです。



「末廣」の建物は、現在の位置よりもう少し港寄りだったそうです。
当時の木材を使って、現在地に移築したものです。




こちらの施設は無料ですが、
スタッフの方々がとても親切で、
地元愛なんでしょうか?
清水について、次郎長さんについて、
よ~く説明して下さいますよ。ざっくばらんだし!
立ち寄る価値ありのポイントです。



船宿「末廣」を後にした私たちは、
いよいよ次郎長生家へ・・・





お盆休みのせい?閑散としていました。








右下の写真が次郎長さんです。



目から鱗の次郎長さんの人物像でした。
良いお勉強をしました。




つづく・・・



明日はマンションの納涼祭です。
役員ですので、がんばりま~す。

♪家康公とプラモデル (久能山東照宮)

2016年 08月18日 16:19 (木)


ハイハ~イ!メグおばちゃんです。
オリンピック・女子レスリング、絶好調でした。
「金」は気持ちがいいですね!


さて、本日の私のお話は、静岡旅行の続きです。

「日本平」からロープウェイに乗ること5分。
「久能山東照宮」に到着です。





こちらはご存じの方も多いかとは思いますが、
あの徳川家康公が眠る墓所がある神社です。

徳川家が治めた260年間。
戦のない世の中の実現、新しい文化の誕生・・・
問題も多々ありながらも、
やっぱり長い統治は凄い。

今の東京があるのも、
そんな時代の流れの中で、
基礎が作られていたからではないでしょうか?



東照宮というか久能山の歴史は古く、
西暦600年頃にお寺として開山。

その後、武田→徳川の領地を経て、
1616年、徳川家康公の死後、
2代将軍秀忠が、生前の家康公の意向により、
こちらに東照宮を造ったのが久能山東照宮の始まりだそうです。
日光東照宮より19年ほど前に出来たそうですよ。





日光東照宮よりも地味と言われていますが、
江戸初期の代表的な建造物となっています。
(権現造・総漆塗り・極彩色)



家康の墓所へ向かう階段脇には、
全国の家臣からおくられた石灯篭







ここに家康公が眠っているのです。
なんだか不思議な気持ちになります。














東照宮の一角にこんな展示が・・・




静岡には、模型を作る会社が多いそうです。
それが家康公との関係が深いとか・・・
バンダイ・タミヤ模型など世界でも有名なメーカーがたくさん!


家康公が崇敬していた静岡浅間神社の修繕、
久能山東照宮を造営する際、
日本の各地から優秀な職人たちが集められました。

職人たちは、これらの造営が終わった後も、
当時の駿府、今の静岡に残りました。
理由は、気候が温暖で風光明媚だったからです。
そして、ひな人形や竹細工といった
木工製品の製作に携わったと伝えられています。

昭和時代になると、
木製の教育玩具や学習教材が次々と生み出されました。
そして戦後、木製模型に続くプラスチック模型が登場。
これが発展し、今のプラモデルにつながるわけです。





久能山東照宮から駿河湾を望む。




最後に・・・

「万年青」の園芸は、
江戸城・本丸完成を祝って、
三河の国の長嶋長兵衛氏が
家康公に3鉢贈ったことに始まるそうです。
(生け花の花材としては、室町時代からあったそうです。)



次につづく・・・

♪静岡県に行ってきました!

2016年 08月17日 17:29 (水)


ハイハ~イ!メグおばちゃんです。
台風7号も過ぎ去り、本日は良いお天気になった横浜です。
今朝、横浜駅を利用したのですが、
まだ、お盆休みの方が多いのか、電車は空いていました。


さて、お盆休みと言えば・・・


本日は、私の夏休みのお話です。
タイトルにあるように、
「静岡県に行ってきました!」

静岡と言っても広ろうござんす!
今回は、過去に何回も訪れた伊豆ではなく、
駿府エリアです。←こう呼ぶのかどうかは分かりません。


皆さんがよくご存じの場所、マニアックな場所・・・
おばちゃんですが、おっさん好みな渋い旅をしてきました。

「こんな所があったんだぁ~!」とか
「知ってる、行ったことある。」とか・・・

お時間のある方は、どうぞ覗いてみて下さいね。


第1回目は、これはポピュラー!
「三保の松原」と「日本平」です。




8月12日(金)、東名高速の渋滞を避けるために、
朝4時過ぎに出発!

意気込んで出発するも、思ったより車はスイスイ。
途中休憩しても朝7時には、「三保の松原」着。






「こんな松、見たことない。」と思うほど、
大きな松がたくさん見られました。


全国的にあると言われる羽衣伝説ですが、
こちら「三保の松原」伝説が一番広く知られているとか・・・

天女が羽衣をかけた松はどれかな?

今はそれらしき松はなく、
二代目松が接ぎ木の技術で育てられていました。






海岸から続く【神の道】
文化財として天女の羽衣の破片が保存されているという
「御穂神社(みほ)」へ続いています。


そうそう、話が前後しますが、
この日は曇り空で、
残念ながらお目当ての富士山には会えませんでした。


人が立つ右側のうっすら見えるラインが裾野かしら?



景勝地「三保の松原」をあとにした私たちは、
「日本平」へと向かいました。



午前9時にロープーウェイの始発が出るのですが、
だいぶ早く現地到着!

日本平からのほぼ360度ビューを楽しみました。







↑先ほど訪れた、「三保の松原」が展望台から見えます。
「三保の松原」がちょっとした半島だったなんて、
この歳になるまで知りませんでした。
清水の街や駿河湾を望む。


標高307m。
頬をなでる風は、すでに秋・・・
そこは心地よい場所でいつまでもそこに座っていたい気分でした。





こんな所に女の子とお母さんの像!
よ~く見ると「赤い靴、はいていた・・・♪」
なぜに山下公園?野口雨情の童謡?

実は、赤い靴の女の子きみちゃんは、
こちら日本平の麓出身だったのです。

モデルの女の子きみちゃんは、
いろいろな苦難に遭いながら、
最後はアメリカには渡らず、
日本で結核により亡くなっていたそうです。(9歳)

まさか、赤い靴の女の子が清水出身だったとは!

きみちゃん伝説は→



午前8時45分、そろそろこれから乗る、
ロープーウェイ乗り場へ・・・


は~い!1番乗り!





次の目的地は、昇るのかと思ったら、下るらしい・・・





ロープーウェイの天井には葵の御紋。
さすが徳川家康が晩年を過ごした駿府です。




駿河湾を見降ろしながら・・・



ロープーウェイに乗っている時間は5分程度です。
ガイドさんの分かりやすい説明とともにアッと言う間に終点へ!



つづく・・・


♪生まれたての【ひまわり畑】(川崎市)

2016年 08月16日 16:29 (火)



メグおばちゃんの夏休みは昨日で終わり・・・
今年の夏休みも自分らしい充実したお休みでした。

世の中は明日あたりから
お仕事が始まる方が多いのかな?



さて、夏休みの最終日、川崎市麻生区早野にある、
生まれたてのひまわり畑に行ってきました。

メグおばちゃんの実家近くというか、
通っていた小学校のすぐ近く、
いわば私の庭のような場所に、
突如出現したひまわり畑です。
この辺りは、川崎でも農村エリアとでも言いましょうか、
近くには<寺家ふるさと村>などもある、
のんびりした場所です。

6月に種まきをして、8月に開花!

でも、この地区の人々の気まぐれや思いつきで、
急にひまわり畑ができたわけではありませんよ。



JAセレサ川崎と川崎市の協力で、
休耕地を利用してひまわり畑を作ったというわけ。


地元民としては、
畑周辺は集合住宅や建築・土木会社のクレーン車などに囲まれているため、
景観として少し気になるところではありますが、
これからもこのひまわり畑
夏の風物詩として定着すればいいのになと思います。







点在する感じに植えてあります。









少しひまわりが、まばらな畑もありました。
来年の課題かな?











農道も広めなので、ちょっと車を止めることもできます。
さて、2017夏・・・
どのように変貌するのでしょうか?
来年も覗いてみることにしましょう。


台風が来ています。
どんなコースを北上していくのでしょうか?
皆さん、どうぞお気をつけ下さいね。



じゃ、今日はこのへんで・・・