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♪矢切の渡し体験記♪

2009年 01月17日 15:38 (土)

本日二つ目の記事となります。

柴又帝釈天の参道散策帝釈天を見学した私たち夫婦。

お次はいよいよ、矢切の渡しへ・・・

お若い方は、矢切の渡しと聞いて何を想像するのかしら?なんてちょっと思ったりして・・・

多くの方々は、細川たかし氏のヒット曲を・・・また伊藤左千夫作「野菊の墓」ではないでしょうか?

この矢切の渡しは、江戸川を手漕ぎの船で東京都の柴又から千葉県の松戸へ渡る一つの
交通手段です。
もちろん現在は橋がかかっていますから、観光がその目的のほとんどとなっています。
江戸時代には、松戸側から江戸に入る農民が使っていたものだそうです。

江戸時代は、「関所やぶり」などは思い罪に問われる行動でしたが、
この渡しは仕事で乗る農民にだけ許された特権だったというようなことが説明板に書かれていました。

川幅は約150メートル。

それでは、矢切の渡しをどうぞ・・・





あれが渡し船かぁ~!ゆっくり進んでいます。
お船好きな私はワクワクしました。



よく読むと面白い注意書き。折りたたみ自転車なら自転車も乗れるそうです。



さあ、出航です。ゆっくり、ゆっくり、静かに・・・

この日はお天気もよく、「本当にここは川なの?」と思うくらい穏やかでした。

先ほどの乗船の際の注意事項の中に書かれているように音楽&説明はまったくなし。
船頭さんが黙々と船を漕ぎます。
乗客も自然と無言です。
その無言が私は、おかしくて・・・吹き出しそうでした。

あたりは、車の音もしない、川が流れる音もしません。
時々押す、カメラのシャッター音だけでした。(音は我が家のカメラのみ)
「なんでみんなせっかくなのに、写真撮らないの?」と思いました。(笑)



穏やかでしょ?滑るように船は進みます。



松戸側の船着場が見えてきました。
10分も乗っていませんでした。
短すぎるぅ!(何を言ってるんでしょ、私。笑)


船が着くとあるお客さんが、
「往復払ったからこのまま乗っていていいのかしら?」と・・・
すると船頭さんは、
「いったん降りて5分待って。」と言いました。

70歳を過ぎた名物船頭さん、そりゃ一息入れたいですよね!
モーターも付いた船ですが、通常は手漕ぎで運航です。
重労働だと思います。

全員いったん下船です。
松戸側に降りると、こんな物が・・・↓ ↓ ↓



細川氏の大ヒット曲ですものね!


5分後には、出航!
すると後から後から、お客さんが・・・「定員オーバーじゃない?」と思うほど乗りました。
船頭さんは、補助席まで作って・・・笑
そしてまた皆、無言で・・・

みんな無事に柴又側に着くことができました。めでたし、めでたし・・・

無言の乗船風景を動画で撮りましたが、あまりにもお客さんのお顔が大きく映し出されているので
今回はやめておきました。残念です。


今回の柴又散策で、近所の方にお土産を買いました。↓ ↓ ↓


草だんごがいいとは思いましたが、お年寄りのご夫婦なので日持ちのする最中にしました。
もちろん、私も自分用に買いました。


寅さんのふるさと、葛飾・柴又。なかなか面白いところでした。
横浜にも鎌倉にもない雰囲気、また浅草とも違う、この町が私は好きになりました。


長いことお付き合い下さいましてありがとうございました。

それでは、今日はこのへんで・・・

♪寅さんだよ!柴又帝釈天!♪

2009年 01月17日 14:02 (土)

本日の記事は昨日の続きです。→http://blogs.yahoo.co.jp/mgmg3422/48921842.html/

映画「男はつらいよ」で寅さんが産湯をつかったと語っている帝釈天です!

○柴又帝釈天○


ウキウキするような参道の突きあたりにそのお寺はあります。
17世紀初期に開山され、18世紀末期には多くの人々の信仰を集めたとされています。
また、お堂の周りの木彫は細部まで彫刻が施され、文化的にも貴重な建造物となっているようです。








帝釈堂の前の松は立派でした。一見の価値あり。      皆さん、健康を祈願してお線香の煙を・・・↑ ↑ ↑







思ったよりこじんまりした境内。
1月12日の午前中はこんな感じ!
空いていて、ゆっくり観ることができました。



鐘がずいぶん高いところにありました。  →  →  →
乗せるが大変だったでしょう。(笑)

帝釈天の見学を終えた私たち夫婦です。

次は・・・後編に続く!(いつの間にか出来た後編 笑)