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ウィンナーコーヒー&コーヒー黒豆

2009年 01月10日 16:18 (土)

こんにちは!メグおばちゃんです。
皆さま、どのような土曜日をお過ごしでしょうか?
お仕事の方、お休みでコタツで丸くなっている方、寒くても元気にお出掛けしてる方・・・
私は・・・ブログ三昧?(おぃおぃ!笑)


先日、お茶を飲みに珈琲屋さん?いやカフェかな?に入った私です。

私は、ウィンナーコーヒーをよく注文します。
甘党ですから・・・(笑)

お店によって様子がかなり違います。
クリームが少なめのところ、丁度いい感じのところ・・・
    今回のお店のものは・・・ ↓   ↓   ↓ ・・・クリームめちゃ多いです!




クリームたっぷりで私好み~!でした。
しかし、クリームが多すぎてコーヒーを飲もうとカップを傾けてもコーヒーが出てきません。
まるで蓋をかぶせたみたいでした。思い切り唇にクリームが付いちゃいました。(空いてて良かった。)
仕方がないので、スプーンでクリームを食べてからもう一度カップを傾けました。
やっと少しコーヒーが飲めました。
結局、邪道ですがコーヒーを飲むためにスプーンでグルグルかき混ぜてから飲みました。
でも最後まですごく冷めもせず、美味しく味わえたのでメグおばちゃん!満足!

そのお店を出る時、こんなものが目に入りました。↓


            【コーヒー黒豆】コーヒー屋さんが作ったこだわりの豆菓子のようです。



                どんなものだか・・・買ってみました。



                たしかにコーヒーの香りがします。食べてみました。
                普通の大豆にお砂糖がまぶしてある豆菓子と変わらなかったぁ!


皆さん、コーヒーはお好きですか?


じゃ、今日はこのへんで・・・


<おばちゃんからのお知らせ>
日・月・火の三日間、都合により更新をお休みします。
皆さんのところへは時間を見計らって伺うつもりではいます。(たぶん!笑)
どうぞよろしくお願いします。

★安養院 (第三番札所)

2009年 01月10日 14:02 (土)

鎌倉三十三観音巡りの続きとなっています。

1月3日、私たちの観音巡り最後のお寺は・・・

【安養院(あんよういん)】

このお寺の歴史はちょっとややこしいので・・・鎌倉ツリープのHPを引用します。

源頼朝の菩提を弔うために北条政子が建てた長楽寺が兵火で焼失したため、ここ、浄土宗名越派の根本道場善導寺の遺跡に移して浄土宗に改め、政子の法名をとって「安養院」となった。その後、江戸初期に火災で全焼し、再建にあたって、比企ヶ谷の田代観音堂を移したことから、田代寺とも呼ばれる。本堂には阿弥陀如来と田代観音があり、この田代観音を祈ったことで政子が頼朝と結ばれたといわれている。
4月も終わる頃になると、ツツジが境内を彩る。

北条政子ゆかりのお寺ってわけですね!(←簡単すぎますか?笑)
安養院(あんよういん)は、政子の法名をお寺の名前にしたってわけ・・・

お寺の規模は中級。(←ごめんなさい。私が勝手に言ってます!)







お正月でも境内には、数人の参拝客。ゆっくり観て回ることができました。
静かないいお寺でした。

さてさて、こちらの御朱印は・・・


少年の雰囲気が残るお寺の方が
書いて下さいました。
しなやかで伸び伸びとした文字ですね!


この若いお寺の方に、私はぜひ聞いてみたいことがありました。
鎌倉観音巡りをしていて、疑問が一つありました。

【メグおばちゃんの疑問】
以前に訪れた寿福寺にも政子のお墓と言われているものがありました。
そしてこの安養院にも政子のお墓と言われているものがあるのです。

そこでそのことを伺ってみることに・・・
「こんなことを伺ってもいいものかどうか分かりませんが・・・」と私。

その方の回答は、鎌倉市の今現在の発掘調査では、どちらも供養塔であると言う見解だそうです。
本当の政子のお墓は、現在住宅地になっている所ではないかとされていて、
発掘不可能ということでした。
鎌倉の歴史も謎・謎・謎・・・

そうなんだぁ!と納得して安養院を後にした私たちでした。

そして鎌倉駅近くのお店でかつ丼を食べ、我が家を目指したのでした。    完

★延命寺・教恩寺・別願寺

2009年 01月10日 12:52 (土)

本日2回目の記事となります。

またまた、鎌倉三十三観音巡りです。

【延命寺】・【教恩寺】・【別願寺】、この三つのお寺は、
こじんまりとした小さなお寺です。
鎌倉のお寺の中では、どちらかというとあまり知られていないお寺に属するかな?!
はっきり言って、観音巡りをするまでは、知りませんでした。(笑)
しかし、どのお寺もなかなか由緒あるお寺です。

それでは、延命寺からご紹介しましょう。

【延命寺】(第十一番札所)


山号は帰命山延命寺、専蓮社誉能公上人によって開山された浄土宗の寺。北条時頼の夫人が建立したといわれている。本堂に祀られている身代わり地蔵は、「裸地蔵」や「前出地蔵」とも呼ばれており、裸にならなければいけないという双六(すごろく)をしたときに、負けてしまった夫人の代わりに地蔵が裸になって双六の盤に現れたという話が残っている。    鎌倉ツリープ HPより

鎌倉駅から徒歩で約5分。町の中にあるお寺です。
昨年、このお寺の道を挟んで反対側にある斎場に、親戚の葬儀で訪れていたメグおばちゃん。
その時はこのお寺の存在には、まったく気付かず・・・(汗)
目の前なのに、まったく・・・(笑)



本堂の襖が10センチほど開けられていて、
中を少し覗けるようになっていました。



      ←30代~40代のお坊さんが、
        書いて下さいました。 



教恩寺 (第十二番札所)


こちらのお寺を探すのはちょっと大変でした。住宅街のしかも奥まった位置にありました。
小さな路地を行ったり来たり・・・(笑)
住宅街を新年早々怪しげな二人連れが・・・!

このお寺は以前、材木座海岸近くにある光明寺の境内にあったそうですが、
光明寺の末寺が廃寺になるということで、こちらに移築されたそうです。延宝6年(1678年)。
こちらのお寺で印象的だったのは、山門の欄間です。↓ ↓ ↓ 16羅漢。







こちらで御朱印帳を書いていただきます。
「お願しま~す!」

さてさてこちらの御朱印は・・・



書き手はおそらく御住職。

ガイドブックによると・・・
こちらのお寺では、数年前まで
夏になると怪談落語会が開かれていたとのこと。御住職は、その復活を望んでいらっしゃるとか・・・




別願寺 (第十三番札所)


別願寺は、弘安5年(1282年)、真言宗の寺院から時宗に改めたのが最初。
室町時代には、足利氏の菩提寺として栄えたそうです。
本堂に祀られているのは、鎌倉三十三観音唯一の魚籃(ぎょらん)観音です。
*手にカゴを下げています。 ↓  ↓  ↓


御本尊は暗くて見えませんが、
上の写真にカゴが見えますねっ!



お寺とは思えないほど庶民的?!
見逃すところでした。



こちらの御朱印です。
御住職と思われる方が書き手です。



こじんまりしたお寺、三つをご紹介しました。次なるお寺は・・・

★宝戒寺 (第二番札所)

2009年 01月10日 11:00 (土)

こんにちは!メグおばちゃんです。
本日のお話は・・・

2009年1月3日に鎌倉を訪れた時の記事となります。
私たち夫婦と鎌倉と言えば・・・そうです!鎌倉三十三観音巡りで~す!

またまた、今年も始まりました。

お正月の3日と言えば、初詣
朝から鎌倉駅は混雑していました。
鶴岡八幡宮への参拝客を横目に、私たちは八幡宮にほど近い宝戒寺へ・・・
萩の寺として有名なこのお寺もお正月は空いていました。
昨年もお正月に訪れてを突きました。今年もゴ~ンとやってきましたよ。
こちらは拝観料\100です。拝観料がかかると知ると、帰っていく10代のカップルがいました。(笑)

【宝戒寺】

寺のあるところは鎌倉時代の執権であった北条氏の屋敷があったところといわれている。北条氏ゆかりの寺で、参道入り口に「唐仏地蔵尊」の碑、「北条執権邸旧蹟」の碑がある。後醍醐天皇が中心となって起こされた倒幕、元弘の変で、幕府滅亡とともに北条一族もほろんでしまった。後醍醐天皇は一族の霊をなぐさめるために、1335年(建武2年)足利尊氏に命じてこの地に寺を建て天皇自らが開基となり、開山。天台宗の寺。本尊の木像地蔵菩薩は国の重要文化財に指定されている。
鎌倉TODAY HPより





萩の時期に訪れるのがベストなのでしょうが、冬枯れの境内も渋いです。(笑)
枯れたように見える木々も、そばに近寄ってみると小さな小さな芽を持っていました。

宝戒寺の境内の中にはないのですが、
宝戒寺管轄の腹切りやぐらが、お寺から少し離れた所にあります。
そこは、未体験ゾーンだったので今回は行ってみました。



腹切りやぐら
そのまんまのネーミングです。
このやぐらは、現在は存在しない
東勝寺跡の奥、
ハイキングコース入口にあります。



写真を撮っていいものか迷いましたが、
お参りしてから、一枚。
なんだか鎌倉時代に連れて行かれそうな雰囲気!


元弘3年(1333)5月22日、新田義貞の鎌倉攻めで鎌倉幕府は滅亡。
その時に滅んだ<北条高時>一族郎党870名の墓と言われています。

鎌倉幕府最後の日には、この地に北条一族は集結。新田義貞軍が攻めてきて首を取られる前に、
執権北条高時は自害を迫られたそうです。そして次々と・・・
誰の死体か分からないようにするため、この東勝寺には、火が放たれたということです。
このあたりで鎌倉幕府が終わったと思うと、ジ~ンと心に迫るものがありました。
現在、このお寺はなく住宅街の中、その跡地は柵で囲まれて雑草が茂っていました。

新年早々、怖いお話でしたね!

鎌倉三十三観音巡りを忘れていました。

さてさてこちら宝戒寺の御朱印は・・・



本堂の隅の小部屋にて受付の女性の方が、サラサラと書いて下さいました。
右下は「かまくら」と書いてあります。

宝戒寺はこれにて終了。

墨の香りがする御朱印帳を持ち、次なる御朱印を求めて・・・