2015年 08月28日 17:49 (金)
ハイハ~イ!メグおばちゃんです!
なんだかもう夏は戻って来ないのでしょうか?
涼しいのはいいのですが、夏好きメグおばちゃんとしては、
ちょっぴり淋しい気持ちです。
さて・・・
皆さんは旅に出かけるときに、
宿泊プランをどのように立てていらっしゃいますか?
バス旅行で宿泊込み?ホテルや旅館だけを予約?
いろいろなパターンがあると思います。
昔?は、旅行会社へ足を運んだり、
ホテルや旅館に直接電話することが多かったのではないでしょうか?
現在は、宿泊施設を調べるのも・予約もほとんどインターネットで
済んでしまいますね!
我が家もインターネットで検索して予約します。
この夏、被災地巡り旅に13日~16日まで
出かけたメグおばちゃんですが、
宿泊施設の予約は夫J氏が担当しました。
高くて良いのは当たり前!
安くていい宿を求めて・・・
旅の思い出話に絡ませながら、
お話したいと思います。
1泊目・・・スマイルホテル 塩釜
こちらは、全国チェーンのビジネスホテルで
仙台や松島観光にも利用できるホテルです。
施設は、狭いながらも清潔感あふれる感じでした。
メグおばちゃんは、1泊朝食付のプランで、
二人でたしか10500円くらい支払ったと思います。
夕食は塩竃料理を塩釜の町でとりました。
夕食の過去記事はこちら→★
さて朝ですが・・・
ビジネスホテルの朝食と言っても
なかなかの人気で外部からのお客さんにも受けてるとか!
ブロガーとして何たる不覚・・・
今回は写真なしです。
イメージ
うわさ通り、朝食バイキング500円(税込)は、
それなりによかったと思います。
ごく一般的な朝食バイキングですが、
味、種類、様子・・・すべて合格点です。
宮城名物、ずんだ餅のデザートも用意されていて、
観光客への心遣いも感じました。
スタッフの接客もまずまずでしたよ。
2泊目・・・仙台国際ホテル
こちらは、JR仙台駅から徒歩5分。
ホテルや高層ビルが立ち並ぶ立地です。
余談ですが、このホテルからは、
夫J氏が単身赴任中に暮らしていたマンションも見えました。
思い出の町を少し歩いてみました。
約15年・・・町並みは変わっていませんが、
通りのお店は少し変わっていました。
こちらのホテルのメグおばちゃんの宿泊プランは、
1泊2食付き(夕食は人気牛たん店の牛タン定食券付き)
仙台国際ホテルは、
接客・施設ともにとてもよかったです。
料金は二人でたしか16000円くらいでした。
さて、夕食は仙台名物「牛タン」定食でした。
人気店「利久」・・・この日も20分くらい並びました。
厚切りの牛タン
以前は牛タンと言えば、薄切りが多かったとか・・・
「利久」さんは、厚切り牛タンを始めた牛タン界の革命児?
どんどん店舗を広げ、今では全国展開の方向です。
う~ん!ほどほどの噛みごたえでいいお味でした。
ボリュームもあります。
比較的若い層に人気があるようです。
周囲を見渡すと、お客さんの平均年令は、35歳?(笑)
追加注文
「蒸しほや」
私たち夫婦の大好物「ホヤ」!
夕食は満足度高かったです!
牛タン定食は、1575円。(ドリンク付き)
そして朝食はブュッフェスタイルで、
それはそれは品数の多かったこと・・・
和食・洋食・中華・スィーツ・・・どれをとってもgood!
ホテル内のお土産スイーツのベスト3まで
一口大に切って並べられていました。
朝食時に試食までさせるとは・・・(笑)
ホテルらしい手作り感もありました。
白石うーめんなどもあったのは、嬉しかったですね。
朝食ブュッフェ1870円(税込)だけのことはありました。
一人8000円の宿泊代に1575円の夕食・1870円の朝食・・・
施設は、清潔感あふれる最新式で、お部屋も広い!
アメニティグッズも充実していました。
ポイント、さすがに高いです。
3泊目・・・みまつホテル(水戸市)
宮城の被災地巡りのあと、
水戸にも立ち寄りました。
こちらで宿泊したのは、またまたビジネスホテルタイプ。
ビジネスホテルタイプとしたのは、
野球部の少年たちが合宿できるような施設もありました。
この日も賑やかな声がロビーに響いていましたよ。
(一般客とは食事などは別です。)
とても古いホテルで、
夫J氏は「いわゆる昔のビジネスホテルだな!」と・・・
施設は古かったのですが、
接客も清潔感もまずまずでした。
こちらのプランは、1泊朝食付
ウェルカムドリンク券付
夕食は付いていなかったので、
夕方の町へ・・・
水戸駅前に「黄門さま」
さすがに水戸ですね!納豆メニューが用意されていました。
香ばしい納豆のドレッシングが
メグおばちゃんのお気に入り。
お腹いっぱいになって、ホテルに帰りました。
そしてこちらの朝食が侮れない・・・
以前は宿泊客以外も朝食ブュッフェを900円程度だったかな?
食べることができたそうです。
ちょっと有名になったようで、
現在は宿泊者のみ。
種類は少なめ和食限定ですが、
朝食としての満足感はかなり高いです。
カレー・野菜サラダ&マカロニサラダはありました。
夫J氏は「ウィンナーがないなぁ~」と・・・←子供かっ!
↑(セットされて置いてあります。)
これは省スペースに役立っていることと、
見た目が美味しそうでしょ?
このホテルの自慢らしいです。
左下の焼き魚は2種類入っています。(嬉)
あとは・・・
企業努力が感じられて、
少々施設が古くてもなんか許せちゃう
みまつホテルでした。
そうそう、気になるお値段は・・・
なんと二人で6000円!
参考・朝食バイキングの詳細→★
それぞれの宿泊施設、良いところがあるのですが、
お得感が一番感じられたのは、水戸のみまつホテルです。
梅の時期などにはまた利用してみたいです。
一人3000円・・・安い!
メグおばちゃんってケチンボなのかな?(笑)
皆さんもいろいろお得な宿をご存じかと思います。
どこかご存じの所があれば、
メグおばちゃんに教えてくださいね。
注)料金については予約経路や日にちによって、
微妙に違います。
ご利用の際は、改めてHPなどで調べてみて下さいね!
そんなことで今回は税込価格ではありますが、
端数は切り捨てています。
2015年 08月24日 17:39 (月)
そこには、愛想笑いも営業笑いもありませんでした!
つらい過去を乗り越えようと
強く生きている人たちの心からの笑顔がありました。
お盆休みを宮城県で過ごした私たち・・・
被災地巡りをしながら、
その地で「お金」を使おうということで、
被災地2か所でお昼を食べることにしました。
こちらは宮城県名取市閖上に出来ている、復興仮設店舗です。
飲食店・鮮魚店・クリーニング店・写真館・・・
生活に役立つ店舗が出店しています。
「さいかい」の文字がひらがなになっていますね。
想像通りだと思いますが、
「再開」と「再会」をかけているそうです。
お盆ということもあり、お休みの店舗もありましたが、
飲食店はどこも営業していました。
私たちは、このお寿司屋さんに決めました。
ちょうどお昼時ということもあり、
すぐに入店できませんでした。
お店の女性が笑顔で店頭にイスを出して下さいました。
とても素敵な笑顔で、「ここなら待ってもいい。」と思いました。
待つこと5分くらいだったかな?
仮設店舗であまり広くはありませんが、
店主の方も感じよく、
ちょっとしたお客さんの無理な注文も、
「大丈夫ですよ、できますよ。」と受けていました。
メグおばちゃんたちは、たしか2200円?のにぎり寿司を。
そしてお味噌汁が付いていました。
なんとも良心的な感じで大変美味しくいただきました。
店主の方も他のスタッフ2人の女性の方も
「あわただしくて、申し訳ありません。」と
何回も言って下さいました。
取って付けたような言い方ではなく、
本当に心からの言葉だと感じました。
なんだかとても良い気持ちで
その場を去ることができました。
「頑張って、繁盛させて下さい。」と
心の中で思った私でした。
あとで分かったことですが、
私がそんなことを思わなくてもすでに人気店でした。(笑)
亘理町の<鳥の海>はこの日、お祭りでした。
多くの人が準備に忙しそうでした。
船本体の回りには、
子供たちの願いが書かれたものがたくさんぶら下がっていました。
どなたか知りませんが、リハーサル中。
歌声、CDかと思いました。
なかなかいい感じでした!
仮設商店街
鳥の海ふれあい市場では、
イチゴの名産地なので、いちごのロールケーキと蒸しホヤを買いました。
旅行中なのに、「生モノ」買って大丈夫なの?と思った方へ・・・
ぬかりなく、小さなクーラーボックス、準備してました。
こちらは、はらこめし・あなごめし・しゃこめしが有名です。
以前、この辺りでしゃこめしを食べたことがありました。
懐しい味を求めて・・・
市場とは別のお店でしゃこめし弁当を購入。
お店の奥で食べることができたので、
出来たてをその場で味わいました。
こちらの商品は少々玉子が多いかな?(笑)
出汁で炊かれたご飯も
しっかり味がついていて美味しかったです。
お吸い物はセルフで無料です。
他にもいろいろ美味しそうな地元産の商品がありました。
こちらのお店の方も明るく元気に販売されていました。
ご苦労も多かったと思いますが、
皆さん、どうしてこんなに明るく親切な対応ができるのでしょうか?
ドン底を経験したからこそ、
人の気持ちがよく分かるようになったのか?
元々、良い性格なのか?
心からの接客・・・
温かい気持ちになれました。
被災地で微々たるお金でも使って支援しよう思って
お店を訪れたはずでしたが、
被災地の方のおもてなしでこちらの方が、
良い気分にさせていただきました。
頑張れ!被災地!
じゃ、今日はこのへんで・・・
2015年 08月22日 15:49 (土)
またまた台風が二つ、
日本列島の様子を遠くからうかがっていますね。
今後の動向が気になるところです。
さて、本日のお話は昨日の続きです。
被災地巡り・・・心が痛むことばかりでした。
宮城県名取市閖上(ゆりあげ)
こちらも被害が甚大だった地域です。
死者数911人、行方不明42人
(死者数は名取市内で発見された方の数。関連死は含まない。)
こちらは、朝市が有名で、私も2~3回訪れたことがありました。
↑写真の丸が日和山(ひよりやま)・楕円が魚市場です。
日和山は今回の記事ではポイントの一つです。
日和山から私が見た2015年8月14日の風景(写真奥が海)
民家が密集して建っていました。
現状からは住宅街だったことは想像できません。
浸水したと思われる痕跡があったそうです。
高さ8mくらいの津波が、
この地区を飲みこんだということでしょうか!
ここには昭和8年の津波について書かれた石碑が残ってましたが、
その存在はほとんど知られていませんでした。
その石碑には、津波を経験した教訓、これからの在り方などが、
記されていた・・・
(名取復興支援協会冊子 参照)
(オレンジ色の建物は子供関連の建築物です。)
こちらにも慰霊碑が建っていました。
お盆だったので、作業はお休みのようでした。
写真(奥)の木があるところは、
以前サイクリングが出来る施設でした。
夫J氏・娘と私で遊んだ思い出の場所です。
とても気持ちがよかったことを覚えています。
今は立ち入り禁止になっていました。
手つかずのエリアなのかな?
宮城県亘理郡亘理町(わたりちょう)
死者数306人
(他市町で亡くなった方、震災関連死、死亡届のあった遺体未発見含む)
多数の町民の要望により
荒浜地区(亘理町)まちづくり協議会が建立した慰霊碑。
碑のまわりには、町花のさざんかが植えられています。
(みやぎ復興ツーリズムガイド 参照)
亘理町も他と同じように海岸に近い地域は、
まだガランとした感じでした。
所々に建つ新しそうなお家は、新しく建てたのかしら?
亘理町は、「伊達なわたり」と称し、
町民が復興に対して、
とても積極的に取り組んでいるようでした。
ファイト!
青い空・青い海・・・
夏の太陽に照らされてキラキラしていました。
あの記憶が間違いだったかのように・・・
~~~~~
あの地震から4年が経過して、
ガレキはほとんど取り除かれています。
しかし、海岸近くの復興は想像していた以上に
遅れているのではないかと思いました。
被災地のある所ではカサ上げ用の土でしょうか?
新しい道路作りの基礎となる土が、
所々に積まれていました。
しかし、カサ上げに必要な土は、
まったく足りないように見えました。
また、被災地の草で覆われた広い土地を見ると、
復興・・・
それは簡単なことではなく、
かなりの年月を要することをひしひしと感じます。
まあ、専門家ではないので、
詳しい土木のことは分かりません。
あくまでも素人が見た感想です。
ちょっと話が逸れますが、
私は元々、東京オリンピック開催反対派ですが、
現在の日本の置かれる状況からすると
他にやるべきことがたくさんあると思っています。
出来ることなら、
人材や資材・・・東北復興の役に立ててほしい!
心の整理はもちろん、住宅などでもまだまだ
不自由されている方は多いと思います。
そんなことを思った被災地訪問でした。
【参考】
この記事を書くにあたって参考にした資料
★名取復興支援協会 冊子
★みやぎ復興ツーリズムガイド
★宮城県・仙台市・名取市 HP
★3がつ11にちをわすれないためセンター
2015年 08月21日 16:59 (金)
2011年3月11日・・・
関東でもかなり大きな揺れを感じた地震がありました。
地震が起きたときは、ただ「怖い」と感じた私でした。
あのエリアで、未曾有の大地震・甚大な津波被害が出ているなんて、
想像もできませんでした。
その数時間後、東日本の広い範囲にとんでもないことが起きたことを
私を含め、日本国民は知ることになったのでした。
今回のお盆休みに被災地を訪問することも
大きな目的でした。
夫J氏が単身赴任していた頃の記憶をたどり、
被災地を見てきました。
仙台市宮城野区・蒲生地区
こちらは、宮城では【蒲生干潟】として、有名だったそうです。
自然豊かで貴重な干潟だったようです。
そして工場と住宅が立ち並ぶエリアでもあったそうです。
こちら蒲生の津波による被害は甚大で、
災害危険区域となっています。
仙台市の計画によると、
これから先、人は住めないということになっています。
集団移転地域ということです。
現地に到着したときに、
「なんだか工場が多いなぁ~」と思いました。
仙台市の計画によれば、
成長産業の集積地とするそうです。
この地区を車で走っていると、
津波の被害を受けながらも崩壊していない民家を数軒、
目にしました。
主を失って寂しげでした。
とても写真を撮る気持ちにはなれませんでした。
この家の人たちは全員、亡くなってしまったのか?
元気だとしても生活に疲れてはいないのか?
いろいろなことを思いました。
仙台市若林区荒浜
ほとんど何もありません。
すべてあの日に失われたのでしょう。
こちらは、800世帯2700人が暮らす海沿いの集落でした。
海岸線から約4kmの内陸・高さ3mの場所までが
水没したと言われています。
防災教育も盛んに行われていたようです。
しかし、そんな防災意識を超える津波が、
この地域を襲ったのでした。
地震の翌日200~300名の遺体が海岸に打ち上げられたそうです。
私は、この荒浜地区の震災前・震災後のドキュメンタリーを
NHKの放送で観ていたので、
現地を訪れてみて、心が揺り動かされました。
こちらも危険区域なので、住むことはできません。
仙台市の計画では、
ゴルフ場か何かが作られる予定だとか・・・
集落の人々の心のよりどころだったことでしょう。
これは倒れたままにしておくのでしょう。
この海があの日、牙をむいたのです。
伊達政宗ゆかりの貞山運河(貞山堀)
貞山堀は、塩竃から阿武隈川河口にかけて掘られた運河で、
江戸時代初期・中期・明治時代の3時期の区間からなる。
江戸時代に掘られた区間(木曳堀及び御舟入新堀)では、
仙台藩南方及び北方の穀倉地帯からの年貢米の運送などが行われた。
貞山堀の名称は、伊達政宗の法名からとられ、
明治時代に完成したときに命名された。(仙台市HPより)
写真、向かって右が海です。↑
津波はこの貞山堀を越えて内陸へ・・・
基礎だけになった家屋・・・たくさんありました。
それぞれの生活があったんですよ。
笑い声、一家だんらん・・・
すでにガレキは取り除かれています。
しかし実際にそばで見てみると、
やはり心に迫るものがあります。
どう表わしていいのか?言葉が見つかりません。
もう、ここでは生活できません。悲しいことです。
【荒浜小学校】は、2016年3月で閉校。
現在は他校にて開校中。
↑ここは被災した人々が集まった場所です。
写真は大きくなります。
荒浜を訪れる人たちの誰もが無口になっていました。
そして、皆さん静かに手を合わせていました。
もう2か所の被災地も今回いっしょにアップする予定でしたが、
写真が多くなるので、2回に分けることにします。
今回はコメント欄は閉じています。
2015年 08月19日 17:44 (水)
一時の猛暑は落ち着き、
たま~に秋の風を感じるようになったこの頃です。
そろそろ夏の疲れが気になる方もいらっしゃるかも・・・
さて、本日もまたです。(笑)
お盆休みに訪れた宮城ネタです。
楽しみにしていた松島の浦戸諸島の島巡り・・・
日ごろの心がけが悪いのか、終始、雨にたたられました。
雨宿りしながらの島巡り・・・(泣)
朴島(ほうじま)を後にした私たち。
いよいよ諸島最大の寒風沢島(さぶさわじま)へ上陸です。
人口170名、周囲13.5km、歴史と伝説の島です。
いかにもメグおばちゃんが好きそうな感じじゃない?
江戸時代には、仙台藩が江戸へ運ぶお米を
この島の港から船に乗せたとされています。
この地で仙台藩の命により、
東北で初めて西洋型軍艦を建造したことでも知られています。
また日本人で始めて世界一周をした
津太夫・左平の出身地でもあります。
(へぇ~!そうなんだ!驚)
現在では漁業中心で、
広島や岩手に牡蠣の稚貝を送り、牡蠣養殖において
貢献しています。
今は静かな漁村ですが、
江戸時代にはかなりのにぎわいを見せていた島だそうです。
当時はこの島にも遊郭がありました。
遊女が「この島から出て行かないで!」という思いを込め、
船乗りを島に足止めするために、
お地蔵さまに逆風祈願をしたと伝わる、↓しばり地蔵があります。
島の高台にあります。今も縄で縛られていますよ!
しばり地蔵のあるすぐ横には、震災の爪痕でしょうか?
↓
島のあちこちに復旧工事の立て看板がありました。
完全復旧はまだまだです。
半農半漁で自給自足の生活を送っていたそうですが、
この島にも高齢化の波が・・・
現在では島興しとして、
酒米を作り地元産の日本酒を造っているそうです。
島には川がないので、雨水での農業になります。
伝説と農業のほかにも注目することがあります。
↑こんな発電もあるんですねぇ!
↓発電所
対岸に見える陸地は野々島です。
私が立っている寒風沢島と野々島の間は、
潮の流れが激しいそうです。
それを利用するのでしょうか?
この発電ならエコですよね。
寒風沢島はもっともっと見どころがあるのですが、
なんたって雨に阻まれて・・・(泣)
対岸の野々島へ無料の渡し船で渡ることにします。
乗船すること約2分?
野々島に上陸したメグおばちゃんです。
野々島は人口100名、周囲8.9km
諸島の生活面の中心で、
諸島唯一の小学校・中学校があります。
こちらの島も綺麗な海水浴場があると聞いていましたが、
震災の影響で、現在は営業していないとか・・・
~夜泣き地蔵~
~六地蔵~
野々島には、洞穴群(ぼら)が多く見られます。
現在では島民の方が倉庫代わりに使っているようですが、
その昔、
密貿易で巨万の富を洞穴に蓄えたという内海長者伝説も残っています。
ロマン、ロマン!
船着き場近くではこんな光景が・・・
なかなか復旧工事が進まないようですね。
行政と住民・・・難しい問題があります。
観光客用の休憩所がありました。
(地域包括センター内)
トイレをお借りしました。
それぞれの島に公衆トイレはありますが、
島で1ヶ所程度なので、
心配な方は場所をチェックしておきましょう。
さて、そろそろ桂島(石浜港)へ無料の渡し船で渡りましょう。
桂島は塩釜本土から船で約23分。
人口300名、周囲6.8km
諸島で唯一の郵便局です。
丸印の所まで浸水があったそうです。
石浜港とは反対側の港へは
ハイキングコースに沿って歩きました。
民家の軒下で・・・
我が家の玉ねぎよりも大きく粒ぞろいだわっ!
ハイキングコースから松島湾・仁王島が見えました。
夫J氏は、仙台に単身赴任中、
この桂島で葬儀に参列したことがあります。
離島独特のしきたりで葬儀は行なわれたそうです。
横浜生まれ、横浜育ちの我が夫は貴重な体験をしたのでした。
諸島で唯一の「島のコンビニ」
この日は、桂島は年に一度の大花火大会の日。
島の人たちは準備に追われていましたが、
その後、悪天候のため中止になっていました。
塩釜本土からもたくさんお客さんが訪れるはずでした。
この島には花火師はいません。
島民の担当者が資格をとって、花火を上げるそうです。
何でも自力で!
この日の海は静かでした。
あの日のことがウソのように・・・
私たちの島巡り・・・
雨にたたられ、見逃した名所もありました。
ホント、残念!
しかし、素朴で良い所だということは、よく分かりました。
青い空・青い海、美しい夕暮れ・・・またぜひ見てみたいものです。
↑この船で塩釜港へそして今宵の宿へ・・・
長々と失礼しました。